あれから18年
阪神淡路大震災から18年。
6000人以上の方が犠牲になりました。その一人に私の祖母も。
私は2階で寝ていたから助かったけれど
おばあちゃんは下の部屋で寝ていた為亡くなりました。
前日 いつものように11時頃にお休みのあいさつを交わしたのが
おばあちゃんの顔を見た最後でした。
犠牲者はみんな即死と判定されていますが 本当は違います。
地震が収まり 2階から下に降りようとした私の耳に
おばあちゃんの『誰か 助けて』と言う声がはっきりと聞こえました。
急いで下に降りようにも 階段が上から3段目までしかなくそこから下は埋もれてました。
そんな中 下からおばあちゃんの声が聞こえました。
必死に下にあるがれきを掘ると おばあちゃんの手をつかむコトが出来ましたが
初めは力強く握ってくれていたおばあちゃんの手は段々と力尽きていくのがわかりました。
私はただただ ちゃんと迷わずに天国に行くようにと祈るしかありませんでした。
おばあちゃんは3日後 名古屋から応援に来て下さった自衛隊の方たちが
引き出していただきました。
家は全壊だったので 当日は今りりぃ達が散歩に行く 一番近い公園で夜を明かしました。
その後 近くの大学の避難所でお世話になったり ご近所さんの家でお世話になったり
8畳のコンテナハウスに5人家族が生活したり 本当に色んなコトがありました。
あの時 たくさんの方々のお陰で私達家族は 今こうして暮していられると思っています。
あんな悲しくて辛い思いは私達だけで十分と思っていたのに 東日本大震災が起きて
何万という方が亡くなり 今も不自由な思いしているかと思うと涙が出ます。
おばあちゃん これからも空の上から応援してね。私 頑張るよ!
by lilytandog | 2013-01-17 22:36 | ひとりごと | Comments(14)
去年も阪神淡路大震災の記事にコメントした記憶がありますが、やはり今年もメッセージを書かせていただきます。
おばあさまの手を握っていたときは、さぞかし辛い時間だったことでしょう。そのときのことを忘れることはないと思うし、いやでも1年に一度は思い出してしまうでしょうが、ご健在のご家族といつまでも楽しい時間が過ごせることを祈っております。おばあさまのご冥福も。
yukkoさん達にとってはどうなんだろう・・・?
おばあちゃんとの最後のお別れがどんなものだったのか・・・
今日初めて詳しいことを聞いたような気がします。
辛い別れでしたね・・・きっとyukkoさん
毎日が後悔の念で一杯だったんじゃないですか?
それでも前を向いてがんばって来たこと!尊敬します!
そんなyukkoさんをおばあちゃんも
お空の上で誇りに思ってると思います(⌒-⌒)ニコニコ...
けっして忘れてはいけない出来事ですね。
yukkoさんの気持ちを読んで涙がこぼれました。
おばあちゃんとの突然の別れ・・・地震のこわさを改めて感じさせてもらいました。
天国のおばあちゃん、今の幸せな暮らしのyukkoさん家族をみてきっとほほえんでくれていると思います。
でも、もう18年もたったなんて・・・
月日は過ぎるのが早いですね。
yukkoさんこれからも頑張って下さいね。
この日はyukkoさんご家族にとっても辛い日ですね。
お心お察しします。きっと天国から見守って下さってますよね。
友人もいつもご主人を送りだす玄関で二人して重なって亡くなりました。
高校生と大学生の娘さん二人を残して。
町並みは復興しても心の中の空白は埋められませんよね。
こんばんは~こちらこそご挨拶が遅れました。
今年もどうぞよろしくお願いします。
あの時の祖母の手の感触は 今でも私の手の中に残っています。
段々と力が抜けていく感覚も。
きっとずっと忘れられないでいるでしょうね。
残された者たちは犠牲になった方たちの分まで生きないとね。
ukiukiさん 優しい言葉どうもありがとう。。。
18年 早いような遅いような 何とも言えない18年でした。
おばあちゃんの最期 毎年 書きとめようと思っていたけれど
なかなか書きこむコトが出来なかったの。
おばあちゃん ずっと家で亡くなりたいと言っていたから それが叶えられたからよかったかなと思います。
家族みんな おばあちゃんの分 犠牲になった方たちの分 頑張らないと申し訳ないからね。
あの時は必死だったから 悲しいけれど泣いてばかりいられなかったです。
数年経ったときの方が悲しくてポロポロ泣いていました。
でも 思ったんです。私が悲しい顔をしていたら おばあちゃん悲しむなと。
それからはいつものポジティブな私に。
元気にしている私をおばあちゃんにこれからも見ていてもらいたいです。
こんばんは。yuuさんも 大変でしたね。
でも yuuさんの機転で 今こうしてお話が出来るんですよね。
yuuさんも私も こうして生かされている。これも何か意味があるんでしょうね。
お友達ご夫婦 さぞ無念だったでしょうね。
私は大学が神戸だったので、神戸には友達がたくさんいました。
大学のときお世話になった先輩と教授を亡くしました。
おばあちゃん、きっとゆっこさんの手をつかめて安心したことと思います。
震災はほんとに怖いです。
未だに微震がくると身体が硬直してしまいます。
それはワンコも同じで微震でもサササーっとクレートに隠れに行きます。
身体に地震のトラウマが刻まれてるんだなって思います。
お辛かったでしょうね。
おばあさまがご家族を守ってくださり今の幸せがあるのだと思います。
私は震災当時地元にいたのですが、学生時代を神戸で過ごしたので
他人事ではありませんでした。妹の勤めていた会社が、水不足のときに六甲の水を送って下さったお礼にと緊急車両をだすことになった時には物資をお願いしたのを思いだしました。
忘れられない、忘れてはならないことですね。
決して忘れることの出来ない18年前の事。
おばあちゃん、yukkoさんと手を繋げて、きっと安心されたと思うよ。
だから、こうして、みんなの事見守ってくれたはるんやと思う。
あの地震の後、余震がなくても、ゆれているような感覚がずっとあったね。
娘の学校の近くが、大変な事になっていて、学校へ行く途中、お花が供えてあるのをみると辛かった。
nicoさん神戸の大学だったんですね。知っている方が亡くなったのね。
おばあちゃんとちゃんと手を繋ぎ 見送るコトが出来てよかったと思っています。
あれ以来 揺れるとその後すごい揺れが来るんじゃないかと身構えてしまいます。
うちのワンコ達 あまり地震を怖がっていません。
自分たちで安全なトコに避難してほしいんだけど。
ママさん 大学は神戸でしたね。
そちらからも緊急車両がでたの?神戸は色んなトコロから助けてもらいました。
色んな方々のお陰で 私達家族は生かされていると思っています。
見守ってくれている祖母にも感謝しています。
あっという間に18年。街並みも変わりました。
おばあちゃんの手 本当に繋ぐことが出来てよかったです。
誰にも看取られずに亡くなられた方が多かったと思います。
ちゃんと見送るコトが出来てよかったです。
うんうん しばらく揺れていないのに揺れているような感覚ありましたね。